社会人こそ、読書をせよ①

自己啓発

       

筆者は、大学卒業まで、数えるほどしか、本を読んだことが無かった。

大学は文学部だったが、それは、高校時代、英語が飛びぬけて成績がよかったからであったのと、将来は英語を使う仕事に、漠然と就きたかったこと、高校時代に、明治時代の日本の小説に惹かれ、文豪の生き様に憧れたこと、といった、漠然とした理由からだった。

すべてが漠然としていて、ふわふわした大学の勉強生活だったが、大学3年時には、TOEIC810点まで取得することができ、自分でも、なかなか努力はできたと思う。

そんな筆者であったが、新卒で地方銀行に勤めることができ、銀行員生活は、わずか1年間であったが、社会の大きな荒波にもまれることになる。

筆者が銀行に在籍していた、15年ほど前は、パワハラは当たり前、長時間残業こそ抑制されていたものの、定時までの忙しさは、目が回るようであった。

少しの間違い、狂いも許されない世界で、上からの圧力、重労働に苦しみ、入社10か月程度で、精神的に参ってしまう。

11ケ月目には、ついに休職し始め、家の中で療養しながら、過ごす日々が続いた。

そんな時に、立花隆氏や、佐藤優氏など、知の巨人たちの書籍に出合ったのである。

精神的には参っていた自分だし、それまで、数えるほどの小説しか読んだことのなかった自分であったが、知の巨人たちの言葉は、思っていた以上に、当時の安川青年の胸にグイグイ刺さり、水を得た魚のように、どんどん、躍動的に知識を吸収していった。

そして、銀行こそ退職したものの、その1年後には、年間読書量、約300冊、月の書籍代は、5万円を越えるようになっていった。

かつての筆者を知る、周囲は、私の変貌ぶりに、当然、驚くこととなった。

なんとなく、安川は知的なイメージが強かったようだが、そこに輪をかけて、知的な読書青年になっていった。

年間、相当量の本を読んでいく中で、特に筆者の琴線に触れたのは、先述した、立花隆、佐藤優、中谷彰宏、千田琢哉などであった。

いずれも、日本を代表する、知の巨匠であり、そこから得るものは、とてつもなく大きかった。

他に、起業、経営に関する本も読み漁り、社会人7,8年目を迎えるあたりには、読破数1500冊以上にものぼっていた。

当然、部屋は本であふれ、気持ちとは裏腹、1回読んだだけで処分を余儀なくされた本も、実に多数あった。

書籍代に、月の給料から5万円以上というのは、本が嫌いな方にとっては、信じられない額だと思われると思う。

しかし、いずれ会社を興したいと決めていた自分にとっては、月の書籍代は、あくまで、「投資」に過ぎなかった。

本から学べるものは、非常に非常に多く、1冊1500円と仮定しても、投資としては、安すぎるくらいだと思っていた。

そこからさらに7年後、起業家の一人に加わったことで、今まで本を読んで勉強してきたことは、大いに生かされることになる。

「社会人こそ、読書をせよ②」に続く

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